ちょっと哀しくなるのです。
土佐物語は14巻に突入して、秀吉の長曾我部退治(本当に「退治」と書いてある)が始まっちゃったので、しょっぱい気持ちになっています。
先に秀吉に降った輝元(元就孫。長男・隆元の子。隆元は元就より先にお亡くなり。)、元春(元就次男)、隆景(元就三男)が、3万の大軍で進軍してきてたりして…。
で、次の章が「元親降参の事」なので、へこんで本を閉じてしまったのですが。
まぁ、へこんでてもしょうがないので、明日にもとりかかりますがね。
うん。
タイミングが色々悪かったんだなぁ、と思わずにはいられない、ですよ。
信長が死んで、織田家がごたごたして、最初に秀吉と家康が対立した時、元親は家康や和歌山の雑賀衆と組んで、秀吉と戦うつもりだったのに、同盟が成立する直前に、秀吉と家康が和解しちゃった、んだよね…。実際のとこは、家康が、てか、対秀吉の筆頭格だった、信長の子・信雄が。
ここで秀吉がやられてたら、また全然違う日本になったのかな?
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